取り越し苦労

鬱病の方を治療をしていると必ず出てくる言葉に、「もし、良くないことが起こったらどうしよう。」があります。
内容的には殆どが取り越し苦労です。
そういう話が出ると必ずこう聞きます。
「では昔、将来の自分を描いたことはあったでしょう。良いことも悪いこともその通りになりましたか?もしなっていないのなら、あまり考えすぎでも意味はありません。それどころか『思うことは実現する』で悪いことを考える良くない方向に行ってしまいます。」
こう言うと必ず、
「でも、不安なんです。○○みたいなことも起こるかも知れないですよね。」
「将来に向けても備えは大事ですが、起こってから考えれば良いのではないですか。」
「でも、起こったらどうしましょう。」
「では聞きますが、今日治療が終わった後、外に出た途端車にひかれるか、隕石が落ちるか、地面が割れるか、核ミサイルが飛んでくるか、毒ガスがまかれるか、テロリストがピストルを向けるか考えながら歩くのですか?そんな取り越し苦労ばかりしていたら生きられないです。起こる可能性はゼロではないですが、最低限の準備をしておけば、頭で描くことは将来こうなったら良いなぁだけでいいと思いますよ。」
「そうですか・・・・・・?」
取り越し苦労が基本的な考え方のように感じてしまう。
気持ちは分からないではないが、次から次へとよく不安が出てくるものだと感心してしまう。
心配性なのか、不安神経症なのか、口から出てくる言葉がすべて消極的である。
こういう方には、「いい加減が一番。適当大好き。物事60点が最高。完璧主義大嫌い。人は人。世の中こんなもの。物事は程々に。大体出来たら満点。晩酌最高。寝床まで仕事を持ち込まない。終わったことは過去-過去は思い起こしてもどうにもならない。」
こんな話をいつもしている。
不思議と通っているうちに患者さんは染まってくる。
「先生、大体出来れば良いですよね。」
「そうそう、いいんじゃない。」
こうなれば鬱病は治ったも同然である。

image_print印刷する