意外な患者の反応

長年治療の世界に関わっていると時には強者の患者に出会うことがある。
がんを宣告されて医者に、「身体を治すのは先生の仕事、私の仕事ではない。」と言い切る方がいた。
本来は落ち込むところだろうが、自分には関係ないといった感じてある。
無責任のような感じもするが、いい一面もある。
それは心が病まないことだ。
病気はあるらしいが、身体のことは医者に任せてあるから今までと同じ生活をしよう。
病気は読んで字の如く、「気の病」の部分が大きいから、これも一つの患者学である。

昔、有名な指揮者ががんや首の手術を何回もやっていかにも痛々しい姿がテレビに映っていた。
インタビューアーが、「先生、これだけの手術で痛みもきついでしょう?」と聞いたら、「だからどうした。」と答えた。
音楽家にしてみたら、自分が極めている音楽と首やがんを手術して辛いことは全く関係ない。
当然痛みはあるが、「だからどうした。」という気持ちなのだろう。
これも生き方の一つである。

がんの患者さんで転移や再発を指摘されて、「大変ですね。」と答えた方がいた。
こちらは聞いていてビックリしてしまったが、まるで他人事である。
本人にしてみると、自分は病気のことはわからないが、先生が今後色々と手を打って下さるだろうから、大変ですねといった感じである。
時々、患者さんでノー天気な方がいるが、どういうわけか認知症やがんには有効な性格みたいだ。
真面目な方ほど認知症を患っているように感じる。
がんもそうでもう少し真剣に考えたほうがいいのではないか、という方の方が元気な気がする。
女性はよく自分の病気を友達にしゃべるが、実はあれはしゃべるほど心の傷が薄まっていく。
男はほとんどしゃべらないが、色々なところでしゃべることを薦める。

仕事をしながら最近は、「いい加減」を薦めている。
いい加減なのだから、丁度良いわけだ。
「適当」も薦めている。
適切にあたっているわけである。

長い人生、死ぬまで生きているのだから、こういう患者学もあることを知って欲しい。