病気は仰山にしろ-我慢弱いこと
多くの患者様を見ていると我慢強いがゆえに仇になっている場合が多い。ずっとつらかったのに我慢して、ついに耐えきれず、病院に行って即入院。医者に「何でこんなになるまでほっておいたんだ。」と叱られる。患者、「・・・・・・・」。昔から「病気は仰山にしろ」といって、小さな病気もバカにせず、ちゃんと治療しろという意味だが、実践なさっていた方がいた。
ある小唄の先生が当院の休みの日に電話をかけてきた。「もう腰が痛くて仕方がない。あれ、今日は何で電話にでないの?つぶれたのかしら・・・。全く困っちゃう。」電話の声で誰かわかったので、「今日は定休日なんです。先生、どうしたんですか?」「腰が痛くてどうしようもない。何とかして頂戴。」「僕は都合があって治療できませんが、スタッフの先生に聞いてみます。」ということでスタッフに事情を話し、休みの日に治療してもらった。その後でお会いしたときに、「先生、先日の腰はどうですか?」と聞いたら、「何のこと?」「あのー、定休日にうちのスタッフに治療を受けたと思うんですが・・・」「あー、あれ?治ったわよ。」「あ、そうですか・・・・・。」
それからまた数ヶ月して今度は心臓が痛いという。「近くの医者でもらった薬が効かなくて、困っちゃう。どうしたらいいの?」「先生、心臓ですから少し大きいところで1度検査なさったらいかがですか?」「あ、そう。じゃ大学病院に行ってみるわ。」ということで検査と治療を受けたが、良くならない。また電話がかかってきて、「あそこの大学病院はダメ。どこかほかないの?」「では先生、○○病院がいいです。」「じゃ、行ってみるわ。」ということで行かれた。その後なしのつぶて。少ししてから会ったときに、「先生、先日の心臓どうしました?」「あー、あれ?治ったわよ。」「あ、そうですか・・・・・。」
「病気は仰山にしろ」を地でいっている生き方である。特に一人暮らしということもあるかも知れないが、これでいいんだなぁと思った。我々プロでも皆さんが何か訴えなければ症状を把握できない。子供を産んだ母親が我が子と24時間べったりいて、泣いたとかお腹をこわしたとか,熱があるとかならまたわかるが、言われなければなかなか相手の病状は判らないものである。
日本人の美意識の中に我慢が美徳という考え方がある。些細なことで騒ぐのは品が悪いとか、長い歴史の中の文化だが、人生50年ぐらいのときは良いが、平均寿命が80年を越えている現在、何もなく過ごすことは出来ない。還暦近くになってきたら、日本人の新しい生き方、「病気は仰山にしろ。我慢弱い。辛いときは騒ぐ。」を実践してはいかがだろうか。
最近マスコミ等で草食男子とか言われているが、我慢弱いというのも捨てたものではない。