勘で生きる
以前、病院勤務時代に大工さんで足首の捻挫の酷い方がいた。
靱帯が伸びきってしまって、包帯で固定しないとうまく歩けない。
外科の先生に相談して手術の方向で話をしたが、「やっても本人が納得するほどいい結果が出るかどうかわからない。」と先生に言われて、手術を断念してしまった。
結局、自分で工夫して包帯を巻いてこちらもなすすべがない。
その方がよく、天気を当てていた。
「天気予報では曇りだが、午後雨が降るよ。」
「雨が降ると言っているが、降らないんじゃないかなぁ。」
「午前中は足がスッキリしていたが、昼過ぎから足がうずくから夕方降ると思う。」
この予報が実に良く当たる。
天気予報の比ではない。
ほぼ100%である。
いわゆる気圧などの変化による気象病だが、昔登山をされていた方も同じようなことを言っていた。
「山の天気が問題ない時は足が軽い。後で崩れる時は足が何となく重く、山に登る気持ちがなくなってくる。この足の感覚を頼りに山登りをしてきたが、殆ど雨にやられたことがない。今の人は色々と機械とか、ウェアもいい物を買うのだろうが、当時私などはビニールの風呂敷と新聞紙だけで登って事は足りていた。もっと身体の感覚を信じると良い。」
なるほどなぁと感心してしまった。
漢方薬の配合を決めたのも勘。
色々な薬でどれが良さそうと思うのも勘。
この人とはうまくいきそうだと思うのも勘。
ここはいやだなぁと思うのも勘。
こっちにしようと思うのも勘。
現代社会、機械ばかりに頼らず人間が持っている勘をもう少し大切にしてもいいと思う。