何でも治せば良いというものではない
日舞をやっている方が転んだ。たいした怪我ではないが、何も処置をしていない。この方に、「皆さんの気持ちにの中には身体がおかしくなったら、あそこにいけばいいと思っているでしょうが、うちが目的にしているのはある程度自分で健康管理できる人を創ることです。初めは何をやっていいか分からないでしょうが、来る度に色々な話をしながら、身体のことを伝えています。時間の経過と共に、怪我をしたら○○をするとか、薬はこういうものを飲むとか、こういう場合は安静にして冷やすとか、色々と学んでいただきます。そういう時にこちらが全部やってしまうと何も学べません。少し足らないぐらいだと、自分でも少し安静にしようかなぁと感じます。だから時にはわざと治さないこともします。それは今治してしまうと何も学べないからです。だから今回もうちで全部は治しません。少し辛さが残っている間に色々と考えて実験して、今後の対策を立てられるようにしたいと思います。いいですか?」「・・・・・・・・・はい。」昔はこういう事は出来なかったが、最近は今治すとこうなるというのがわかるから、加減をしている。これは子育てと似ていて全て親がやってしまったら、何も子供は出来なくなってしまう。親が死んだあと、何でもできる子にしておくのが親の役目である。