似れば良い

芸術関係の仕事をしている方と話をしていると、「以心伝心」の話や「心を学ぶ」などの話がよく出てくる。芸の仕事も血縁関係が後を継げば、その家庭で学んだことが役に立つが、家庭環境がなくてその道を学ぶということは中々難しいものがある。先日たまたま人間国宝の坂東玉三郎さんのインタビュー番組があってみていたら、「命と健康を害する以外のことは全てやらないと努力とは言えない。努力をすれば道は開ける。」と言っていた。玉三郎さんは私が子供の頃から見ていて、今でも年間250本ぐらいの舞台をこなすという。仕事が終わると毎日マッサージにかかるという。持病でポリオがあるので、足の長さが3cm違っていて、身体にかかる負担は相当なものだと以前テレビで知った。そういう方から以心伝心で学ぶということは大変なことである。教えても教えても学ばない弟子はいると思う。私も年齢的に指導する場面が時々あるが、中々覚えないと腹が立ってしまう。しかし教えたことを学んで身につけるだろうと思っているから腹が立つが、人間自体が違うから最近は「似れば良い」と思うようになった。以前師匠の先生に憧れてしゃべる言葉を一言一句メモっていたが、周りを見るとそういう人の方が少ない。今日来たお花の先生も以前師匠の言葉をメモっていたそうだが、周りがメモらないので皆頭に入っているのだろうと思っていたが、実は師匠の話をあまり聞いていなかったことが分かり愕然としたという。自分が先生になってから、花を活ける心を伝えようと奮闘努力されているが、成果が思ったように出ず、大きな悩みだという。世の中、若い頃につかむ方は心から触手が伸びている。しかし生徒さんの中には触手のない方がいる。これでは花の心は伝わらない。「あなたこの花瓶を見て何を感じる?」と聞いても返事は望めないだろう。指導する側が苦労する気持ちは分かるが、本人に似たり近づくだけでいいと思う。そこからはその人間の個性で伸ばせば良い。そんな事を最近感じ始めたら楽になった。あまり思い詰めず、少し近づいただけで大喜びしたら、もっと楽に生きられそうである。