閾値(いきち)について
常連さんが、「全然、腰に負担をかけていないのに腰が痛くなった。納得がいかない。しかし昨日たっぷり寝たら極端に楽なった。全くどうなっているのかわからない。」と言う。これは皆さんよく経験すると思う。こんな時は、「閾値(いきち)」の話をする。身体の器をコップに例え、98%まで入っていても本人は気がつかない。70%でも35%でも身体は何にも感じない。しかし100%を超えた途端、騒ぎ出す。閾値を超えたわけだ。この方ももしかしたら器に98%入っていて、5%程度の事しかやっていないのに器から溢れたから驚いたのであろう。よく常連の社長さんが、「ちょっと診てくれる?」と言って来る。私が身体を触り始めるといつものようにぼやきが始まる。「腰がこんなに酷い。腸が動いていない。肩関節は余裕がある。」私が何と言うかを聞いて秘書に、「明日の○○の予約キャンセルしておいて。」と伝えているので、社長が自分で感じている体の情報と、私がしゃべる内容が合わないのだろう。結局自分の身体のことはわかっていそうでわかっていない。だから、「この程度のことで痛くなるなんて・・・。」と悩むわけだ。幸いこの方はたっぷり睡眠を取ったので身体から、「ちゃんと解ってくれれば、わざわざ痛みを出して知らせる必要はない。」と認められて翌日は極端に楽になったのだろう。身体の何処かに、「今の腰の器は○○%」みたいに表示されれば楽だが今の技術では難しい。我々のやっている治療は出来る限り器の中身を捨て、隙間を増やすことだ。理想的には「貯金治療」になる。少しでもおかしいと思ったら治療を受けて、自分の器を知ると、意外と自覚できていないと感じるはずだ。残念ながら今のところ自分の身体を理解するようになる方法は、何度も失敗して数を重ねるしかない。