因果応報

この言葉を聞くと田中角栄総理を思い出す。30年以上前に側近の方を治療していたので印象が強い。総理御本人の回顧録に、「わしは自分でやったことで自分に非難が来るのは構わない。しかし孫が学校で黒いピーナッツを投げつけられ、「お前のおじいさんは逮捕された。お前はその孫だ。」と言われ、泣きながら学校から帰って、「おじいちゃん、いじめられた。」と言われたときは耐えられず泣いた。これはたまらない。」という内容が書かれていた。しかしおじいちゃんが学歴もなく、総理になったときは学校で褒められたという。結局孫は何もしていないのに、先祖の影響を受ける。例えば私がいい治療をしてうちの患者さんがうちの息子と会った場合、「あなたのお父さんには助けられた。」と息子が感謝されるだろう。逆に私が患者さんに取り返しのつかないミスをしてしまったら、「お前の親父に人生台無しにされた。お前も恨む」と言われかねない。しかし息子は何もやっていない。結局、先祖の因果応報が子供に行くのである。以前病気でも書いたが、病気の原因は2つである。「先祖からの遺伝子のコピーの問題」「環境と本人の生き方」である。先祖の部分は治すのは難しいが、せめて自分が原因の部分は治して戴きたい。この年になると因果応報、改めて深い意味がある。