何事も実験

以前、歯医者に行ったときに、「あなたは噛み合わせが強く、歯ぎしりするでしょう。マウスピースを作りなさい。」と指導されて、仕事柄、人に勧めてばかりいたが、自分にも必要なのかと思い作って戴いた。初めて装着した翌朝、あまりに首が楽なのに驚き、「これは何かの間違い。たまたまだろう。」とその夜は着けなかった、それから数日経つとやはり朝起きると首が痛い。そこで又マウスピースを着けてみた。見事に翌朝首が楽になっている。これも又まぐれだろうと思い、マウスピースを外すと首が痛くなる。この実験を5回やって、マウスピースで首が楽になるのは間違いないと確信した。その経験から人にも強く、「マウスピースを作りなさい。」と指導できる。患者の中には口内炎や耳鳴りの治療がうまくいき、治って喜んでいる方がいるが、そういう方には必ず、「1度治療を止めて、症状が出るのを確認して治療再開してどうかを確かめなさい。」と言っているが、中々承諾して戴けない。過去の医学の歴史は実際にやってみていい治療だけが継承されている。漢方薬もそうだが、もの凄い数の実験結果で、良いものだけが残っている。全て先人のお陰である。私は、「受けられた恩恵は後世の方のためにも」と思ってしまうが、患者さんには評判が悪い。物事は何事も実験しないと解らない。1番困るのはたまたま効いて、また悪化したときに実験をしていないから、次の手が打てないことである。我々はそういう実験を数をこなして、一つの治療体系を作り上げている。私が痔や脊柱管狭窄症を完治させないのは、「完治させてしまうと、悪化したときに次の実験で検証できなくなってしまう」からである。この実験に対しての感覚はもう身体に染みついている。