大変という事について
仕事柄、「先生、聞いて下さい。大変なんです。」という話はよく聞く。
話を聞いていると確かに大変だが、こういう話を聞きながらいつも思うことがある。
それは、『大変とは「大きく変わる」と書く。』ということである。
「有り難う」は「難あって有りがたい」も同じで、おそらく本来の漢字の意味に、「大きく変わると大変だけどあなたが成長するから」「難が有るお陰で成長できる」というような意味が込められているのではないかと思ってしまう。
先日も当院の電気が止まり、大騒ぎをした。狭いところにたこ足配線だから、おそらくそれが原因と思い絡んだ配線を全てほどいて、つなぎ直し、これで問題はないだろうと思ってやったが、まだ電気が来ない。これは本当に大変な作業である。こうなるとプロにやって貰わないといけないので、調べてもらったら、「漏電しています。漏電ブレーカーが故障しています。本来は10年位で交換ですが、これは大分古いタイプですね。」と言われてしまった。火災が起きず一安心したが、今回の件で今後漏電の心配がなくなり本当に良かったと思う。
2年前に脊柱管狭窄症を患った時に、「え、先生が脊柱管狭窄症?」と言われたが、こちらももうそこそこの年なので、治療に専念した。仕事柄どこへ行けばいいかは分かるので、いろいろな先生にお世話になるうちに、自分がその治療に関して乏しい知識しか持っていないことに気がつき、必死でここ2年Zoomのセミナーで学び、最近はやっとの事でレベルが追いついてきた。これは脊柱管狭窄症を患ったお陰である。まさに「難あって有り難し」である。こういう体験を何度かしていると、何か大変な時に、ニヤッとしてしまう。「これで又大きく変われる・・・」と思ってしまう。世の中大変なことは多いが、人はその都度成長できる。大変大いに結構である。