高野山の旅
以前から行きたいと思っていたところに、高野山があります。伊勢・志摩や延暦寺は以前ブログに書きましたが、「奥の院」には戦国武将の名だたる方(織田信長・豊臣秀吉・明智光秀・柴田勝家・石田三成・加藤清正・黒田官兵衛・徳川家・武田信玄・上杉謙信・真田昌幸・幸村・毛利元就・伊達政宗)のお墓があり、何が引きつけたのかとても疑問に思っていました。
先ず始めて宿坊(蓮華上院)に泊まりました。「真田坊」と言われていて、関ヶ原の戦の後に真田昌幸・信繁父子が身を寄せたことで知られる、真田家の菩提寺です。普通六文銭は縦二列ですが、そこに飾られていたのは横一列で、戦いの時は縦二列にしたそうです。本来、六文銭は「三途の川の渡し賃として、死後すぐに旅立つ故人が持参すべきもので、これは迷いの世界である六道を無事に通過するための大切な旅費」とされていて、それくらい死を覚悟していたわけです。
翌朝は早速、奥の院で「織田信長」「豊臣秀吉」のお墓探しです。敵同士で闘った戦国武将がどうして同じお寺で安置されるのか不思議に思っていました。こうなると空海の歴史を紐解かなければなりません。空海は若い頃、仏教の教えを学びますが満足できず、中国に行って密教を学びます。そして当時の奈良の仏教では「長い間修行しないと仏様にはなれない」といってきましたが、空海は「人はだれでもこの身このままで仏様になることができる(即身成仏)」と説かれました。「真言密教」の開祖となり、嵯峨天皇のお力添えもあり、高野山を修行の道場とします。
高野山には二大聖地(奥の院・壇上伽藍)があり、壇上伽藍は厳しい修行を行う道場で、奥の院は空海が永遠の瞑想に入られた場所です。
戦国武将も現世では戦い抜きましたが、死後の世界では末代に至るまでの「安寧」を求めていたのだと思います。そのために空海にすがりつきたい、即身成仏になりたいという気持ちが強かったのだと思います。
奥之院の御廟橋を渡った途端、突然空気が変わりました。この感覚は中々普段の生活では味わえませんが、これこそが多くの方が高野山に憧れる理由のような気がして、ほんの一部だけ、今年の夏休みに体験してきました。