吉田松陰先生を尋ねて
以前から、色々な医学会に参加していて、山口県出身(長州藩)の先生方は少し何かが違うと感じていました。やはり吉田松陰先生の影響だろうなぁと思っていて、いつか松下村塾を訪ねてみたいと夢に描き今回叶い、萩まで足を運びました。まず松下村塾に1番近い宿「萩本陣」に泊まったのですが、びっくりするくらいホスピタリティが行き届いているのです。「お客様がここでこうしたいだろうなぁ」や「ここはこうしておきました」が徹底しているのです。これも吉田松陰先生の影響なのかなぁと思ってしまいました。翌朝すぐ松陰神社にお参りをし、松下村塾に行ったところ、こんなに狭いところで多くの人間に教育をし、日本を変えるという志を貫徹したのかと思いました。調べてみたら内閣総理大臣の8人は山口県出身だそうで、最近では安部総理が山口でしたね。我が群馬県はたった4人です。やはり日本を思う気持ち、総理大臣を輩出するだけの土壌がこの長州にはあると思いました。その後資料館に行き、地元の小学生が吉田松陰先生の言葉を唱和していると知り、ここが違うのだと分かりました。子供の頃から身体に染みついているのです。そして色々な言葉を残されていますが、その中でも至誠という言葉に関しては感銘を受けました。
至誠而不動者 未之有也: 極めて純粋で誠実な心(至誠)を尽くして行動すれば、どんな相手であろうと心を動かされない者はいない。逆に言えば、人が動かない・物事が伝わらないのは、自分の誠意がまだ足りていないからである。
これは吉田松陰先生の座右の銘で、30歳にして処刑されてしまいましたが、最後の最後まで例え牢屋にいても勉強して、物事が達し得ないのは自分の誠意が足りないという精神を貫きました。そして幕府から天皇中心の世の中、そして諸外国の脅威に対抗するために産業大国に日本を変えるという計画をして、その弟子たちがわずか数十年の間に明治維新を起こし、今の日本の産業の基礎を作ったのです。その精神は今も脈々と繋がっています。資料館のあとは、吉田松陰先生のお墓とご生誕の地に行きました。小高い山の中腹なのですが、生家から眼下に町と海が見えるのです。「この景色を見ながら夢を描いて憧れたんだ」と思うと、身体が固まり、動けなくなりました。実はすぐ近くに東光寺といって、毛利家のお墓があるのです。そこが何とも言えない雰囲気で、関ヶ原の時に破れたとはいえ、その毛利家の底知れぬ力を改めて感じました。山口宇部空港に戻る途中に、秋吉台の大鍾乳洞「秋芳洞」もあり、3億年の大自然の傑作と150年の人間の歴史が交差する不思議な旅となりました。