東日本大震災の被災地報告

震災以降一度はこの目で被災地を見たいと、先日行く事が出来ました。
仙台から石巻、気仙沼を通り陸前高田市まで見てきました。
車で海岸に近づくにつれ、屋根にブルーシートがかけてある家が目立ち、こんなに広い範囲で被害があったのだと驚きました。
畑には所々、つぶれた車がひっくり返っていてまだまだ手つかずの状態でした。
海岸線の道は何とか補修されていましたが、何箇所かは通行止めになっていて迂回路で回りました。
地震の影響でしょうが、高速道路の橋の部分で段差が出来ていて通るたびにガタンと振動を感じました。
海に近づくにつれ、津波の警戒地区の標識がありましたが、実際の被害はそのよりも何mも上で、行政もここまでの被害を予測できなかったことがわかりました。
海岸線の地域は根こそぎやられ、右も左も前も後ろも跡形もなくなっていました。山の方を見るとあんなに遠いところまで被害が及んだのかと、10数mの巨大津波のすさまじさを感じました。おそらく高台に家を建てた方達は、ここまで津波はこないだろうと思っていたと思いますが、いかに今回の地震と津波が想像を超えたものかがわかりました。
何百台もショベルカーが入り、大量の瓦礫の整理をしていましたが、震災から5ヶ月でこのペースだと4-5年ではとても復旧しないだろうと感じました。
市役所のそばにはテント村があり、ボランティアの方達が寝泊まりをして、不眠不休の作業をしていましたが頭の下がる思いでした。
車で移動式のコンビニがあったり、屋台での食堂があったり、復旧の兆しが所々感じられましたが、人々がこの街に戻ってくるのかと疑問も湧きました。
震災直後に現地入りした方から聞いた、何とも言えない臭いは殆ど感じませんでした。
道路際の花壇に新に植えられた赤青黄色の花がとても印象的で、また鯉のぼりが一つ立ててありましたが、これを見て私自身、希望が湧いてきました。
いかに普段当たり前の生活が当たり前でないかを痛切に感じました。
千年に1度かもしれませんが、たった1回の津波ですべて失う怖さ。
決して東北だけのことではありません。
地震が収まるのに10年、原発は100年かかるそうですが、何とも言えない不安な世の中になってしまいました。
私など子供の頃は皆そんなに豊ではなかったですが、希望だけはたっぷりあった記憶があります。
鬱病の方と話をしていると夢や希望がなく、悪いことばかり気にしているように感じますが、どんなときも人は希望があれば生きられると思っています。
頑張れ、日本。
明けない夜はない。

image_print印刷する