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年寄りの幸福感

仕事柄、年配の方は多い。
長年そういう方達と話をしていると若い方とは幸福感が違うと感じる。
若い時みたいにあれが欲しい、これが食べたい、あそこへ行きたいがなくなってくる。
必要な物は全てあるし、ご飯もあまりこってりしたものは食べられない。
毎日天ぷら、うなぎ、中トロなど無理である。
美味しいお新香とお茶漬け、梅干しでもあれば十分である。
旅行へ行くと言っても毎月海外などへは行けない。
月に一度の国内旅行でも疲れてしまう。
季節に一度、そんな遠くない所ぐらいが丁度良い。
私も最近は実家の母に、「少し生きている間に金を使え。」と言っているが、返ってくる答えはいつも同じである。
「電車で何処かへ行くのは疲れるし、近場ならタクシーを使わず歩きたい。食事もさっぱりした物しか食べたくない。服や宝石は最低限でいいし、親戚の結婚式などはない。法事ぐらいだ。ご近所さんや友達が来てくれて、しゃべっている時が一番楽しい。」
おしゃべりをしているだけで高い幸福感を感じている。
若い時には想像できないだろうが、段々幸福感が変わるのである。
理想を言えば孫に好かれ、孫のために少し格好をつけるぐらいがいい。
もらって嬉しいのではなく、与えて嬉しい、喜ばす事が出来た幸福感である。
何となく割が悪いように思うが現実である。
毎日、そこそこの方と関わりおしゃべりをして、美味しくご飯が食べられればこの世は極楽である。

2017年7月14日

「それも修行」「いい思い出」

以前お世話になった先生が、患者が何を言っても「それも修行」「いい思い出」と言う。骨折しようが胃を取ろうが、がんになろうが、全て答えは同じである。当時は私自身若く、そんな返答ではどうかなぁと思っていたが、今になると名答である。患者は今起こっている自分の症状だけ言う癖があるが、この世に生を受け、長い人生の中で怪我や病気はほんの一瞬である。そう思えば「それも修行」「いい思い出」と言えるかも知れない。この言葉を言われると患者は反論できない。「修行不足ですいません。」「確かに思い出になるかも知れません。」としか言えない。何となく納得してしまうのは、修行の後に成長した自分が待っていることや辛いことがやがて思い出になることを知っているからである。何となく魔法の言葉である。日舞をやっている方にこの2つを言ったら、「そうですね。もっと頑張ります。」と言って、その後何処が今日は辛いか言わなくなってしまった。「それも修行」「いい思い出」はこの世でいい修行を積み、いい思い出に包まれたいという本能に語りかける言葉である。

2017年7月12日
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スタッフ

清水

shimizu_2011a
パーソナルトレーナー
運動指導
元プロボクサー

中島

nakajima_2011a
古典鍼灸治療
元サッカー選手

後藤

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鍼灸師柔道整復師
アロマコーディネーター
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