完治希望と壊れた器

前回の肘痛のブログは、「痛くないことと治ったことは別なのですね。」という反響が多かった。患者心理に「完治した」と思いたい気持ちは分かるが、我々から見ると、1度傷ついた身体は「壊れた器」である。例えば私が去年、脊柱管狭窄症を患いお陰様で95%程(研究のため完治させず、何かの実験用に残してある)は治っているが、治ったのだから、何をしてもいいとは思ってはいない。それは一度身体が壊れたからである。無理をすれば又痛みがでることは間違いない。しかし患者は痛みがなくなれば「完治した」と思ってるので、今までと同じことができると信じて疑わない。我々から見れば完治もしていないのに、筋トレなどをして身体を壊す患者をよく診る。こういう場合に一番大事なのは、「痛みを起こす仕組みの解明」である。ここがちゃんとできれば完治と言っていいが、患者は痛みがなくなれば治療をやめてしまう。成長期の子供の骨折なら完治と言っていいだろうが、ある程度の年齢になり生活習慣などで起こった症状は身体の癖なので、痛みが取れて治療しなくなると又再発する。治療をしていても、なかなか癖まで治す人は少ない。だから患者には「良くなってもまた痛くなるに違いない」という感覚を持てといつも言っている。そういう考え方を持っていた方が、何か症状が出たときに大事にならない。患者の完治したと思いたい気持ちとは逆の考え方だが、とても大事な考え方である。

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