年寄りの気持ち

以前常連さんの娘さんが結婚をすることになったが、お父様を亡くされていたので、バージンロードばどうしたものかという話をしていた。話を聞きながら、娘さんのそのお爺ちゃんもうちに通っていたので、「あのお爺ちゃんに頼んだら?」とアドバイスしたら、「先生、よくそんな事思いつくわね。」と言われたが、私自身はそんなに突拍子もない話だとは思わなかった。しかし母親にしてみると、そこには気がつかなかったらしい。実際の式ではお爺ちゃんが孫娘と一緒にバージンロードを歩き、満場の拍手を頂き、その映像も送って戴いた。孫娘よりお爺ちゃんの方が明らかに緊張している。自分の娘と一緒に歩いたバージンロードはおそらく30年位前であろう。80才を超えてから孫娘のバージンロードを一緒に歩くとは夢にも思っていなかったと思う。これには後日談があり、お爺ちゃんはバージンロードを依頼されてから、緊張しまくり、床屋に行ったり、新しい服を新調したり、一体誰の式かわからないぐらいになっていたという。このお爺ちゃんの感覚はやはり年を取らないとわからないものがある。若い時は兎に角、金も余裕もないから、不安だし、このままで大丈夫かなぁといつも感じている。しかしある程度の年齢になれば、多少の経済的ゆとりと共に、現役ならまだしもやることがなくなってくる。そんな時に孫娘に喜んでもらえる企画話である。孫娘なのだから生まれた時から全て知っている。年をとると、必要とされているだけで嬉しい。今日来た患者にも話したが、「多少、親に負担をかけるのは親孝行。あなたの場合なら、冬に同じ服を2-3回着ていけば、母親は『あなた同じ服ばかりで、新しいの買えないの?小遣いあげるからこれで買いなさい。』となり、母親は友だちに、『この間娘が、毎回同じ服ばかり着てくるので少し小遣いをあげた。』と自慢そうに必ず言う。自分が必要とされていて、自分に出来る事があるのが嬉しいのである。しかし子供は色々と考えて親に迷惑をかけたくないと思っているから、『お母さん、全く問題ない。大丈夫。』と言うだろう。しかしそれは『親はもういらない』と言っているのと同じである。若い頃はそういう事に気がつかなかったが、私もこの年になると少しわかってきた。程度問題はあるが親に頼るのも親孝行。」という話をしたら、「そういうものですか?」と言っていた。人はその年齢にならないとわからないことが沢山ある。私も我が儘で育ち親父が良く、「お前みたいに我が儘に育っても、その年になれば分かる」とよく言われた。父を亡くして13回忌を迎えるが、ようやくその時が来たと最近は感じている。

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