視力と脳の処理

私は高校生ぐらいからメガネをかけるようになり、車の運転では「眼鏡等」になっている。数年前に眼科へいったら、「視力に左右差があり、新しいメガネを作りなさい」と指導され、出来たメガネでパソコン仕事をしたら2時間もしないうちに頭が痛くなった。こんなに綺麗に見えなくてもいいのにと思い、メガネを外したら4時間ぐらいやっても頭が痛くならない。試しに昔に作った少しピントが甘いメガネにしたら、何時間でもつけていられる。ではピントの甘いメガネを作ろうと思って、眼鏡屋さんに行って事情を説明したら、「そんなピントの甘いメガネなど作れません。きちんとよく見えるようにします。」と譲らない。仕方がないので、又ピントの合ったメガネを頼んでしまった。そんなことがあってから、焦点が合いすぎる事に違和感を感じ理由を考えていた。おそらくピントの合ったのは目にはいいのかもしれないが、それを処理するのは脳である。脳の画像処理やものを見つめるフォーカスする機能が疲れてしまうのではないかと思うようになった。目は単に焦点を合わせるだけの装置で、疲れるのは目ではなく脳である。だから脳を基準に見ることが大事だと感じている。人はある程度の年齢になればそんなにはっきり見えなくてもいいのである。物を買ってきて見えなければ、誰かに読んでもらうし、私などデパートに行っても文房具以外は殆ど何も見ない。スーパーに行っても必要なもの以外は全く目に入らない。女性の場合は全て見て1番ものが良くて安いものを選ぶのだろうが、男性の場合はそんな事はしない。車の運転時は流石に必要だが、電車での移動の場合など、メガネをかけない。ただ不便なのは、何番線に何々線という表示を近くに行かないと見えないことぐらいで後は不自由はない。身体の動きも俊敏でなくても生きていける。理想的には眼科の先生に脳のことも勉強して戴き、「フォーカスは大事ですが、脳の処理と体の関係はもっと大事」と言って頂くのが有り難いが、まだその時期はまだ来そうにない。

■追伸
このブログを読んだ患者さんから「イノチグラス」を教えて戴きました。
https://eye-condition.com/?gad_source=1

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