今日来た少し症状が難しい若い患者さんが、「自分の辛い症状の原因を追求して・・・」という話をしていた。気持ちは分かるが、これには少し違和感を感じてしまう。理由はいくつかあって、「難しい症状は原因追求したってわかるわけがない」「原因らしきものを見つけても本当にそれが正しいかがわからない」と言いたい。捻挫や打撲なら原因と何が起こっているかがはっきりしているので全く悩まない。しかし頭の違和感とか、耳鳴りとか鬱病、やる気のなさなどはいくら調べてもわかるものではない。おおよそこんな事が関わっているというぐらいは現代医学で解明されているが、まだまだ原因に一部を垣間見ただけである。専門家が何十年もかけて判らないものを素人が掴めるわけがない。それより大事なことは、「○○をやったら何故か楽になった」という体験を増やすことである。「汗をかいたら何か楽」「コンサートに行ったら気分壮快」「エスニック料理を食べたら何故か頭が働く」などの体験を集めるということだ。こういうやり方を帰納法と言う。色々やって良かったものを集め、「だから○○ということが言えるんじゃないか」という考え方だ。これは我々が専門にやっている東洋医学の基本でもある。「頭にお灸をしたら痔の痛みが減った」「指を揉んだら歯痛が止まった」こういう経験則をまとめて何千年もかけて理論体系が作られている。だから若い患者さんが原因追求したいという気持ちは分かるのだが、それは将来医者か学者になったらやればいい事だ。患者さんはひたすら、「良くなることだけを追求」して頂きたいと思う。原因は求めれば求めるだけ、泥沼にはまる。私などももう40年、耳鳴りの原因を追いかけているが、いまだに全くわからない。「原因追求」と「良くなることだけを追求」この考え方の違いで治療効果も変わってきてしまう。
お問い合わせ
TEL:0120-489-891
携帯:03-3474-5559
業務改善のため、通話は録音させていただいております。
金曜定休
電話受付10時~23時
東京都品川区南品川2-11-4
メルマガ購読(10日に一度配信)
最近の投稿
訪問者数
- 300今日:
- 748112総計:
- 300月別: