年をとると何事にも驚かない

年配の方は戦争を経験しているから、多少のことでは驚かない。
何処かの国に原爆が落ちても、「昔日本にも落ちた」で終わり。
がんの末期と言われても、「もう十分長生きした、知り合いはみなあっちにいる」と言うだろう。
例え騙されて資産をなくしたとしても、「明日から漬け物と味噌汁で暮らす、昔みたいに・・・」で終わり。
知り合いが亡くなっても、「思いのほか早かった。私ももう少し。」と言うだろう。
事件や事故に巻き込まれ、過酷な運命を背負っている人を見たら、「お気の毒だけど、そういう星の下に生まれたのね。」と言うだろう。
若い方が、倒産や失恋、離婚で命を絶つというニュースを聞けば、「会社なんかまた作ればいい、恋人もまた探せばいい。命を絶つ程のことではない。人生長いし、何とかなるもの。」と言うだろう。
結局、人生年輪を重ねると日々の生活で驚くことがなくなってくる。
これは幸福なことだと思う。
若い頃悩んで年を取れば、「当時なんであんなことで真剣に悩んでいたのだろう。」と思うだろう。
以前ブログでも書いたが、「人は85才を超えると高い幸福感に包まれる」という事実がある。
ただしそういう方達は、「若い頃はそれなりに色々あったけど今は幸福。今が一番。」と言う。
この事実を知っているだけで、年をとるのが楽しくなってきた。
常連さんにこの話をしたら、「年をとるともっと大変と思っていたが、話を聞いて85才から5年間でもいいのでそういう幸福感を味わいたい。」と言っていた。
おそらく人は晩年には高い幸福感で日々生きられるように、神様が設計されたのではないかと思っている。

image_print印刷する