母親の心配性

私の母はもう90才を過ぎていて施設にいる。昔から私が一人っ子ということもあり、とにかく心配性である。何をやるのも、「お前、危ないからダメ。」と言われ続け、中学ぐらいには家を出る計画を立て、高校卒業と同時に実家を出て、東京で浪人生活をした。どうもこの実家を出る流れはうちの親父から私、娘にまで遺伝したみたいである。東京に来てから、時々は田舎に帰るが、心配性は相変わらずで、「東京でちゃんとやってるの?」と人の顔を見れば、心配事ばかり相変わらず言う。大分前に1つ気がついた事がある。それは心配性の人は心配しながらそういう自分を見ると安心するのである。それがわかってからは、時々、「最近患者が少なくて・・・」と言っている。そうすると母は、「何かあれば私の口座にお金が入っているからそれを使え。」と言い、親の責任を果たしていると安心できる。余り強烈な心配事はさすがに身体に悪いから言わないが、適度な心配事は言うようにしている。あと新年には今でもお年玉をもらっている。もらうと人に、「私は今でも子供にお年玉をあげている。」と自慢できるからである。これを拒否すると、親の役目を果たせなかったことが不安の種になってしまう。その辺のことがわかってから、適度な心配事があればこそ、親が元気でいられると思っている。よく親を心配させまいと、「全く問題はない。」と言っている場面を見るが、それはもう親になればわかるが、もう親はいらないと言っているのと同じである。そう考えると親というのは何とも割の合わないものだが、親の心理とはそういうものである。私の唯一の趣味はオートバイに乗ることだが、時々は遠くまで高速で行くと少し伝えようと思っている。それでまた母が心配をして、もう少し寿命が延びると確信をしている。

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