最近は長年同じ仕事をしているせいか、仕事が道楽になってきた。理由を考えたら、仕事で迷いがないからだと気がついた。
20年ほど前は、何でも自分で治そうと治せない患者を引き留めたりしたが、段々自分の実力が分かってきて、治せない患者は治せる医者に回すと決めてから極端に楽になった。そして自分はここまでできるが、あとは専門家と割り切れるようになり、益々楽になった。
難しい患者を抱えていて治らないと、「あそこには通ったけど治らなかった」となるが、専門家に送ると私は治していないのに、「あそこに行ってから治った」と言われる。この違いは大きい。
我々に必要なことは、「その病気は本当にこの世に治療法があるのかないのか」をとことん調べ、研究し、探すことである。それが見つかればあとは専門の先生にご挨拶に行き、「先生、宜しくお願いします。」と言えば、快く引き受けてくださる。
そう考えると現在当院では、「がん」「耳鼻科」「整形外科-ほぼ全ての関節」「麻酔科」「理学療法」と紹介先がかなりある。
ほとんどの先生とは学会が一緒か、セミナーを聞いてご挨拶に行った先生ばかりである。
コロナのお陰と言っては語弊があるが、学会がオンラインになって、以前より手軽に講義を聞くことができるようになった。多い時は月に30-40本ほど聞いているが、聞けば聞くほど凄い先生が沢山埋もれていることを知った。私ではとても追いつかない先生ばかりである。
このお陰で患者には、「あなたのこの痛みは私ではここまでしか治せないけど、あとは○○先生が専門にやっている。先生にお願いしておくから大丈夫。」と言えてしまう。
もうこうなると仕事で悩みがない。我々の仕事の最大の悩みは、「この患者、どうやったら良くなるだろう」が分からないことである。ここを乗り越えるか乗り越えられないかで、道楽にも苦痛にもなる。
世の中何でもそうであるが、問題が起こって何をやればいいかが分かれば、こんなに楽なことはない。
若い方で悩み抜いている方は沢山いると思うが、自分の知恵は意外と浅く、世間にはちゃんと答えを持っている人が沢山いるものである。
ちょっと悩みを脇に置いて、探してみてはいかがだろうか。
凄い先生と出会うたびに、自分の浅はかさ知る。
昔から、「無知の自覚は叡智の始まり」というが、自分が頑張らないで謙虚によそから学ぶ心になると答えが向こうからやってくる。

