先日秋休みを頂いて延暦寺に初めて行った。
「一隅を照らす」という大きな石碑があり、気になったので少し歴史を調べてみた。
まず延暦寺という寺はなく比叡山全域を境内とする寺院の名称である。
一般的には「東塔」「西塔」「横川(よかわ)」の3地域(三塔十六谷)を合わせたものを延暦寺と呼んでいる。
開祖は最澄で766年、滋賀県大津市に生まれる。15才で出家したが奈良の大寺院での安定した地位を求めず、郷里に近い比叡山に小堂を建て、修行と経典研究に明け暮れる。経典の中でも法華経の教えを最高のものと考え、唐に学びたい気持ちを当時の天皇に伝え、当時止まっていた遣唐使を再開させた。唐の天台山で学び、帰国後天台宗を開いた。法華経を中心に延暦寺は当時総合大学としての性格を持っていた。下記は延暦寺で学び浄土教や禅宗の開いた方達である。
法然 浄土宗の開祖
栄西 臨済宗の開祖
道元 日本の曹洞宗の開祖
親鸞 浄土真宗の開祖
日蓮 日蓮宗の開祖
これだけ見てもすごい顔ぶれである。大講堂には開祖が全て祭られている。その後、延暦寺は強大な力を持つようになり院政を行った白河法皇ですら「賀茂河の水、双六の賽(サイコロ)、山法師(延暦寺の僧兵)、是ぞわが心にかなわぬもの」と言っている。法皇ですら手を焼いた気持ちが伝わる。やがては織田信長の時代に「延暦焼き討ち事件」が起こる。しかし最近は延暦寺は全て焼き払われていなかったのではないかとの説もある。
そして最澄が書かれた『山家学生式』の冒頭に、
「国宝とは何物ぞ、宝とは道心(仏を信じる心)なり。道心有るの人を名づけて国宝と為す。故に古人言わく、径寸十枚是れ国宝に非ず、一隅を照らす此れ即ち国宝なり。」とある。
意味は「国の宝は金銀財宝でなく、菩薩心、道を極め、道を求め、さらなる道を求め努める人である。自分に与えられたこの場所(仕事、学校、家庭など)で自分の持てる力で精一杯努める事が大事である。」と説いた。
ここに「一隅を照らす」が出てくる。
人々を幸せへ導くために「一隅を照らす国宝的人材」を養成したいという熱い想いがあった。
この言葉でどれだけの方が救われたかわからない。
そこに延暦寺が1000年以上続く本質をみた。
今回、延暦寺に初めて行った意味は大きかった。