合いの手

仕事柄、体について何かいい話を聞かせて欲しいとはよく言われる。
しかしテーマを与えられると長年仕事をしている分、ある程度答えられるのだが、漠然と何かいい話と言われると中々出てこない。
一つの話をしている時も患者さんが上手に合いの手を入れると、しゃべりやすいのでつい余計なことまでしゃべってしまう。
この合いの手はいい治療を受けるために、患者さんにとって必要な術であると何時も感じている。
治療する側は患者さんの辛い症状を何とか楽にしようと色々説明はするが、話が途切れてしまう方も結構いらっしゃる。
そうなるとこちらは手を変え品を変え説明するが、理解して頂けない方も多い。
反応や共感がないのである。
そうなるとしゃべりにくい。
決してこの合いの手は難しい技術ではなく、
「あ、そうですか。」
「へ~。」
「知らなかった。」
「そうなんですか。」
「全然想像もつかなかった。」
言葉は単純でも、いいタイミングで十分、こちらは話しやすくなる。
歌舞伎でも日舞でも演歌でも合いの手が入るが、いいタイミングで、
「中村屋」「成田屋」「さぶちゃん」
と入れば芝居や歌もやりやすいと思う。
最近は、「医者を選ぶのも寿命のうち」とか言われるが、私からすると
「いい治療を受けるには合いの手などで先生とのコミニュケーションは不可欠。」
と言いたい。
これは医者患者の関係だけでなく、世間一般に通じることではないだろうか。

image_print印刷する