医学と医療

昔脳出血の患者が、「複視(物が二重に見える)が治らない。」と言い続けていた。担当医はおそらく、脳の損傷のレベルから見て治癒の見込みなしと考えていただろうが、初老のリハビリの先生が患者の話をよく聞いていて、相談相手になっていた。患者は事ある毎にリハの先生に、「複視が治らない。」と言い続け、リハの先生も、「そうか。中々複視はね・・・。難しいんだよ。」と言うだけで、こういう事をやったらよくなるという話などしなかった。おそらくリハの先生も、治らないと分かっていたのではないかと想像する。しかし患者から言われると、「そうか。複視はね・・・。中々ね。」しか言わない。そんな状況が2-3年続いてあるときから患者が、複視のことを言わなくなった。もちろん治ったわけではないが、気にならなくなったのであろう。当院でも今、おばあちゃんが、「眠気が取れない。」と言い続けている。こちらは毎回話を聞き、色々な方法を試してはいるが、これをやれば治るというものはない。では絶対に治らないのかというとそれは神様しか判らない。こんな時に良く思うのが、「医学と医療の違い」である。複視や眠気などは基本的に医学では治らない。しかし患者は当院には通っている。何故か、それは当院が医療を提供しているからである。では医学と医療は何が違うのか。医学は学問で現代医学で治るレベルというのは分かっている。医療はわかりやすく言えば、「健康に関するお世話」、横文字で言えばヘルスケアである。医学は病気に対して治るか治らないかの「事実」だけだが、医療はお世話で「希望」がある。複視の患者もリハの先生から、希望をもらっていたので通った。眠気が取れないおばあちゃんも、「良くなるかもしれない。」という希望を感じて通っている。がんの末期の患者も医者に、「もう治療法はありません。」と言われるのは医学の話で、医療で出来ることは沢山ある。だから患者が代替医療などを求めるのである。神様がお作りになられた人の身体、まだまだ神秘で現代医学だけで判断できない場合がある。以前、端唄の家元が脳出血を起こし医者から、「もう歌えません。」と宣告されたが、あまりの入院生活の退屈さに少ししゃべったら何とかなったので、歌ってみたら声が出たという。数ヶ月続けたら、歌えるようになってしまい医者が脳を調べたら、「本来の言語中枢はそのままやられていますが、別の場所が言語の仕事をしてしまっています。珍しいです。」と言ったという。このお家元、その後普通に稽古をしていた。医学でダメと言われも、医療がある。人は希望と共に生きられる。

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