近江を制するものは天下を制す

以前、滋賀県から来ている患者に、「彦根城など色々と良い所がありますので、是非来て下さい。」と言われていた。どうも新幹線に乗ると「京都」まで行ってしまうが、以前から興味はあったので今回初めて琵琶湖を一周した。まず米原で降りて「国宝 彦根城」。言わずと知れた「井伊家」である。徳川家から信頼の厚い井伊家は徳川四天王(酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政)とか、徳川三人衆と言われるほど信頼が厚かった。幕末に大老を務めた第15代藩主、井伊直弼の桜田門外の変は有名である。天守のある所まで登ると琵琶湖が一望出来る。次に織田信長が3年の歳月をかけて完成させた「安土城」だが、本能寺で倒れた後、焼失して今は石垣だけが残っている。写真では見た事があるが、まず大手道の石段の迫力に驚いてしまった。少し離れたところに「信長の館」があり、安土城の天主(安土城の場合は「天主」と表わす)が再現されている。金箔10万枚を使用した外壁や狩野派に書かせた部屋一面の絵画などはまさに別世界である。もちろん権力の誇示もあるが、天皇を迎え入れる準備をしていた。しかしその御座は信長の座るところより下に作られていて、自分こそが天の主(天下人)である事を示したかったと思われる。「信長の館」にはVR(バーチャルリアリティ)でショートムービーがあり、夜の安土城はライトアップされ、この世のものとは思えないほどのまばゆい光を放っていた事がうかがわれる。信長の夢の描き方がどれだけずば抜けていたかを感じた。翌日は「長浜城」。戦の功績により、秀吉が一国一城の主となった最初の拠点で出世城とも言われ、城下町の整備にも力を入れた。今浜(いまはま)と呼ばれていたこの地を信長の名から一字拝領し「長浜」に改名した。現在でも秀吉を慕い、行政が記念碑を建てていると聞いた。そしてこの天守からも琵琶湖が一望出来る。当時の大名は近江国(現在の滋賀県)は、東海道や中山道、北陸道など主要な街道が交わり、琵琶湖の水運、京都に近い事もあり、城跡が全国屈指の1300か所以上もあるという。「近江を制するものは天下を制す」と言われる所以である。特にこの近江は権力争いが繰り返され何度も戦場となった。時の大名は皆、この海のような穏やかな琵琶湖を見て、戦や天下取りの事を考えていたのであろう。そう思うと今回見た湖面の静けさは何とも対照的で心に残った。

image_print印刷する