伝わらない「様子をみましょう」の真意

常連さんが首を痛め、地元で有名な先生に診て頂いた。「首の状態が良くありません。ひどくなれば手術ですが、少し3ヶ月様子をみましょう」と言われ、患者は「様子をみましょうなら、大したことはなさそうだ」と思って何もしなかった。しかし段々悪化して不安になり、当院にちょっとどう思うか意見を聞きたいということでおみえになった。話を聞きながら、「その状態なら何もしないで治るということはありません。おそらくすぐに手術になると思います。さっきから訴えている症状は、すべて頚椎椎間板ヘルニアが悪化しているという内容です」と言うと、本人は「首は全く痛くない、医者は様子見でいいと言った」と言う。しかし首が痛くなくてもヘルニアが悪化すれば、手足の筋力低下なとが起こる。「そんなに大変な状況なの?」と本人もビックリした様子で、すぐに別の医者に相談したら、「即入院、即手術」と言われ、「あと数日ほったらかしだったら半身不随になっていたかもしれない」と言われ、またビックリしてしまった。そうなると初めに診て戴いた先生の診断はどうなんだとなる。しかし我々から見るとその先生もちゃんと診断して指導をしているのである。これは現実問題、患者がお偉いさんだと言葉が少し柔らかくなる。あまり危機感をあおらない言葉を使いたがる。「まあ、大丈夫だと思います・・・。気になればいつでもどうぞ。」といった感じの言葉を使いたがる。ではこの方の場合、様子見でいいと言われ悪化して半身不随になったら初めの先生は何と言うだろう。おそらく「だから酷くなれば手術と言ったはずです。私は説明しました。」となる。患者にしてみると話が違うではないかと言いたくなるだろう。こういう話は私みたいに医者と患者の間にいる人間には良くわかる。「患者(特にお偉いさん)に精神的負担をかけたくないと思っている医者」と「医者の話の中から耳ざわりのいい話だけ取りたい患者」で起こる問題である。昔に比べてズバズバものを言う先生は増えたように思うが私なども、「事実以外価値なし」と基本的には思っている。しかし年配の方には良く思われない場合がよくある。この問題を解決するには医者の真意を汲まなくてはならない。診察時に、「この先生にすべてまかせておけば大丈夫」と思うのは大事だが、患者も、「最悪何を覚悟しなければならないのだろうか、聞いておかなければならない」という気持ちが問題を解決する。

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